自分は95年当時に神戸に住んでいて阪神淡路の震災にも遭遇しましたが、そのときは幸運にも外洋の調査航海への参加で不在でしたので難を逃れました。一ヶ月半後にようやく戻って来た時の街の変わりようと、凍結されたままだった自分の部屋を開けた時の不思議な感覚を今でも覚えています。
今はもう防災関係の研究分野から離れてしまっているのでその方面では貢献出来る事が無いのが残念ですが、次の災害に備えての身の回りの防災対策だけはしっかりやっておこうと思います。
ピット 代わり映え無し |
レース後の魔の時間帯?にアルミダンパーステーを曲げてしまいました… |
じゃんけん大会景品 トリニティの2ステージと3ステージのインナー |